「手放す」ということについて、『チベットの生と死の書』ソギャル・リンポチェ著より引用しています。
2022年8月24日更新NEW!
文末にインナーウィッシュ補足を追加しました。
以降の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
チベットの生と死の書 単行本
【参考】
『チベットの生と死の書』
ソギャル・リンポチェ著/講談社
写真画像については、無料素材を使用しています。
追加情報については、参照元を個別に記載します。
ひとつ実験をしてみよう。硬貨をひとつ用意する。それはあなたが生のなかで必死でしがみついている何かだ。それをしっかりと手のなかに握って、腕を伸ばす。手のひらを地面の方に向ける。今、手を開くかこぶしをゆるめるかすると、あなたはそれまでしがみついてきたものを失うことになる。だからあなたはしがみつく。
だが、ここに別の可能性がある。手を開いて、それでも硬貨を持っていることができるのだ。腕を伸ばしたままで、手のひらが空を向くようにする。手を開いてみよう。硬貨は依然あなたの手のうえにある。あなたは手放す。だが硬貨は依然としてあなたのものだ。広い空間のなかで。
つまり、生を味わいながら、何かにしがみつくこともなく、<無常>を受け入れる道があるということだ。
どうすれば執着を乗り越えてゆけるのか。無常の真理を理解することによってである。それ以外にない。その理解がゆっくりわたしたちを執着の手から引き離してゆく。そしてわたしたちは、師たちが「変化に対する正しい態度」と呼んだものをかいま見るようになる。
変化に対する正しい態度とは、流れ行く雲を眺める空のようであること、水銀のように自由であること、である。水銀は地面に墜ちても、その性状は何ものにも侵されない。塵とまじりあうことはけっしてない。
師たちの助言にしたがい、少しずつ執着から離れてゆくと、わたしたちのなかで大いなる慈悲が解き放たれる。貪欲の雲はうすれ消えゆき、真の慈悲心の陽がさしこむ。そうして初めて、わたしたちは次にウィリアム・ブレイクの言葉に示された高らかな真理を、自己の深みにおいて味わうことができるようにあるのである。
喜びをその身に引きつけて離さぬ者は
天地をかける生命を滅ぼす。しかし、
飛び去る喜びに口づけする者は
永遠の明日のなかに生きる
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
チベットの生と死の書 単行本
【参考】
『チベットの生と死の書』
ソギャル・リンポチェ著/講談社
写真画像については、無料素材を使用しています。
追加情報については、参照元を個別に記載します。
「手放す」ことを初めて教えてもらったのは、20年以上前、30日間の霊性プログラム(2001年)でのことです。その時、アメリカ人の神父様から役立つ例え話をしていただきました。
「手のひらに長年愛用してきた古い時計を乗せているような状態」
「その時計はちょうどよいタイミングで変化する」
と説明されました。
当時「手放す」というと、「捨てる」とか「放り出す」ようなイメージを持っていたので、新鮮でわかりやすく、穏やかに受け止められたことを覚えています。
「手放せない」というのは何かを強く握りしめている状況です。それは「自然な変化を受け入れられない」気持ちからくるものなのだろうと思います。古い時計はそのままかもしれず、いつか新しいものに変わるかもしれず、修理されるかもしれず、時計自体を使わなくなるかもしれないのに。
そのように自然に変化することを眺めながら、「すべてをありのままに」手のひらを空に向けて広げているような状態が「手放す」ということなのでしょう。
でもこれは時と場合によって難しいことも多いです。そのように「上手くいかない」という気持ちも「手放す」ことができれば…と思います。
2022年8月24日 inner-wish