献身と奉仕の流れについて、『ラスト・バリア』(ルシャッド・フィールド著)より引用しています。
以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
ラスト・バリア―スーフィーの教え 単行本
【参考】
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見出しは文章の内容から作成しました。
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『神への献身とは、あらゆる面から神を学ぶことである。神に仕えるとは、君が神について知っていることを、他の人々に教えることである』
神に仕えること。これ以上にすばらしく、美しいことがあるだろうか!唯一の真の喜びは、神に仕える者となることなのだ。そして、それは常に、その瞬間に何が必要とされているか気づくことを意味している。眠っていたのでは、我々は決して、自分に何が要求されているか、わかりはしない。次の瞬間に何を依頼されるか、まったくわからないのだ。
この道に入った時に、君は人生の終わりまで、自らを奉仕の流れに投げ込んだのだ。もうあと戻りすることはできない。自分が奉仕したい時にだけ奉仕することができるなどとは、考えてはいけない。一瞬一瞬の要求に、常に目覚めていなければならないのだ。それも、君自身の必要にではなく、神の必要とされていることに対してなのだ。その時初めて、君は奉仕に生きる特権を許されるだろう。
あらゆる理屈を越え、見返りを期待せずに、神への完全なる帰依を悟った時、我々はまさに自らの使命を遂行するために必要なものを与えられるのだ。また、『神は何ものも必要としない。だから神に汝の必要とするものを与えよ』とも言われる。
互いに助け合うためには、私たちは自分が誰であるかを知らなければならない。そして自分が誰であるかを知るためには、私たちは他の何よりも神を愛し、最終的には神しかいないことを悟る必要があるのだ。このような道によってのみ、私たちは真に奉仕することができるのであった。
神を完全に愛するようになるまでは、我々は愛を知ることができない、ということは本当なのだ。愛は君が神に降伏する時、君の中にもたらされる。その時、君の中には神のみがあり、それゆえ、”完全なる人間”になれる可能性があるのだ。君が知る必要のあったことのすべては、今、ここに君の中にある。自分自身を捨てた時、君は永遠の中によみがえるのだ。
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
ラスト・バリア―スーフィーの教え 単行本
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