般若心経(小本)の解説を紹介します。
以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
CD付き 般若心経 読む・聞く・書く 単行本
【参考】
『般若心経【読む・聞く・書く】』
法楽寺住職 小松庸祐/西東社
画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。
観自在菩薩が得た悟りとはどのようなものかが語られています。
【漢訳】
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空 度一切苦厄
【現代語訳】
観自在菩薩(観音菩薩)は彼岸に渡る深い智慧(無常・無我)を体得し、
苦の原因となる無明を見極め、
五蘊(色・受・想・行・識)のすべてが空であると看破されました。
そして、いっさいの苦より解脱されました。
【各言葉の説明】
●観自在菩薩
★観自在菩薩:いわゆる観音さまのことです。
玄奘三蔵は、宇宙の真の相を自在に観察(とらわれることなく自由自在にものを見ること)し、人々を救う悟りを持った修行者という意味を込めて観自在菩薩と漢訳しました。
●行深般若波羅蜜多時
★般若:すべての物事の本質を見極める智慧のことを般若とよびます。
★波羅蜜多:到彼岸(彼の岸に到る)という意味。人として完全に生きようとする場所。
般若波羅蜜多(彼岸に渡る深い智慧)の真理をよく行う人は、すべて観自在菩薩となります。
では観音さまが得られたまことの智慧、般若とはいったいどのようなものなのでしょう。
海が深ければ深いほど、その表面は静かで穏やかです。
浅い海も深き海も同じ海ですが、深い海の根底まで見極める姿勢でのぞむのが
深般若(じんはんにゃ)ということです。
●照見五蘊皆空
★五蘊:色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊の五つを五蘊といいます。
★空:すべてのものは実体がなく因縁から形成されていること。
五蘊とは、色・受・想・行・識の五つをいい、存在するすべてのもの、
一切諸法をさしています。そしてその一切諸法は、
種々の要素が集まって生じたシステム(これを因縁生起という)、
つまり因縁により形成されているのだから、空であるとお釈迦さまは説かれたのです。
すべてのものは、他によって常に変化(無常)を繰り返し、
それ自体が独立して不変を保つものは何一つなく(無我)、
複合構成された要素についても常住不変ではない(無自性)というわけです。
一切諸法は無常、無我の相であり、空相なのです。
●度一切苦厄
煩悩→業→苦の輪にある間は、「こころ」それ自体が心を束縛しています。
そこで身も空にして、心も空になり、身心ともに空じられた心境に入ったとき、
真空になり、煩悩も業も苦しみもなくなります。
一度真空妙有(しんくうみょうう)を理解=悟れば、煩悩→業→苦の絆が断たれます。
空じられた心境そのものです。
五蘊を皆空なりと照見すればいっさいの苦を解脱する。
『般若心経』が目的とする「照見五蘊皆空 度一切苦厄」に至るのです。
観音さまは舎利子に向かって「色不異空」と説かれました。
その真意はどこにあるのでしょうか。
【漢訳】
舎利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是
【現代語訳】
このように照見いたしまして、
物はそのまま空であると同時に、空はそのまま物であります。
物を離れて空はない。空を離れて物はない。
したがって知覚と想像と意行と知識なども空であります。
【各言葉の説明】
観自在菩薩は、この世のあらゆるものは因縁によって構成されていることを説かれました。
【漢訳】
舎利子
是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減
【現代語訳】
舎利子よ、万法の自性は空であって相ではありませぬ。
生もなく、滅もなく、垢もなく、無垢もなく、
減もなく増もありませぬ。
【各言葉の説明】
ここでは「ごうんかいくう」ということについて、観自在菩薩は言葉を変えつつ繰り返し述べています。
【漢訳】
是故空中無色 無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界
【現代語訳】
舎利子よ、この理由によって、
空にも身もなく、知覚もなく、想像もなく、意行もなく、知識もなく、
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身もなく、意もなく、
物もなく、聲もなく、香もなく、味もなく、法もありませぬ。
それと同じく眼界もないことからして、
意界もなく意識界に至るまでもありませぬ。
【各言葉の説明】
ここで『般若心経』は、十二因縁も真理すらも否定しています。
その本意はどこにあるのでしょうか。
【漢訳】
無無明 亦無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故
【現代語訳】
無明もなく、無明の尽きるところもなく、
老死もなく、老死のつきるところもありませぬ。
それと同じく、苦もなく滅もなく、智もなく、得もありませぬ。
【各言葉の説明】
菩薩は般若の智慧を完成させたため、涅槃をきわめることができたのです。
涅槃は『般若心経』の到達点です。
【漢訳】
菩提薩埵
依般若波羅蜜多故 心無罣礙
無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃
【現代語訳】
舎利子よ、この理由によって、
菩薩などは得することがないからして、
最勝智(さいしょうち)に到るところのこの法に安住しまして、
心に障礙(しょうげ)もなければまた恐怖もなく、
顚倒(てんどう)の心を遠く離れまして、
煩悩を離れましたところの完全な境地に着きます。
【各言葉の説明】
仏教では過去、現在、未来とたくさんの仏、菩薩がおり、
最高の悟りを開かれました。
【漢訳】
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提
【現代語訳】
たしかに三世(さんぜ)にあらせられるみ仏たちは、
最勝智の境地に到るこの法によりまして、
無上正真円満(むじょうしょうしんえんまん)の菩提を成就して、
仏となられました。
【各言葉の説明】
いよいよ『般若心経』の終盤です。『般若心経』自体が呪文であり、
それを唱えることですべての苦厄を除くことができると述べています。
【漢訳】
故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚
【現代語訳】
最勝智の境地に到る真言、大明の真言、無上の真言、
無等と等しい真言はいっさいの苦厄を全滅しうる真言であって、
虚妄でないから、真実であるとしるべきであります。
【各言葉の説明】
もっとも尊い仏さまの言葉、呪文が記されています。
『般若心経』はこれによって悟りに到り、救われるとしています。
【漢訳】
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提薩婆訶
般若心経
【現代語訳】
ゆえに最勝智の境地に到るところの真実を説きますと、
次のごとくであります。
掲帝 掲帝 波羅掲帝
波羅僧掲帝 菩提薩婆訶
舎利子よ、大菩薩などはこのように
最勝智の境地に到るところの深妙の法を行なわねばなりません。
【各言葉の説明】
『般若心経』を翻訳された玄奘三蔵も、
この部分については翻訳不能と判断されたのでしょうか。
漢訳せずにサンスクリット語の音だけを写しました。
繰り返し出てくる掲帝というという言葉は、度すということで、
ここでは「○○して行った」と訳されます。
つまり人生のあらゆる苦難を、般若の智慧によって乗り越えていった
という意味になります。
●掲帝
★掲帝:自らがいっさいの苦厄を乗り越えること
我も悟り、行こう
●掲帝
★掲帝:信心によって他の人々のいっさいの苦をなくすこと
他人にも悟らしめ行こう
●波羅掲帝
★波羅:正確にという意味
★掲帝:度すこと
確かに悟り彼岸に行こう
●波羅僧掲帝
★波羅:正確にという意味
★僧:あまねく、わけへだてがないという意味
確かにあまねくいっさいに悟らしめ彼岸へ行こう
●菩提薩婆訶
★菩提:正覚、悟り、涅槃のこと
★薩婆訶:成就という意味
悟りの成就に幸あれ
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
CD付き 般若心経 読む・聞く・書く 単行本
【参考】
『般若心経【読む・聞く・書く】』
法楽寺住職 小松庸祐/西東社
画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。
さまざまな高僧たちの般若心経の解説を、それぞれ比較しつつ学んでいくことが、この経典の意味する本質を理解するのに最も役立つということである。これは、ごくごく一般の人にとっても、十分に行い得る方法だ。手に入るもので学ぶことが肝要だろう。ダライ・ラマ十四世(●般若心経について【自己変容の道】)
【ダライ・ラマ】Wikipediaより引用
ダライ・ラマ14世(1935年7月6日 - 在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。法名はテンジン・ギャツォ。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に。1959年に中国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命。亡命後は、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞し、国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされる。
【ブッダ】Wikipediaより引用
仏陀(ブッダ)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。サンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。一般には、釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を「ブッダ」と呼ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内在する真我を「ブッダ」と呼んだり、「仏性」とよんだりする。