般若心経(短)サンスクリット原典訳を紹介しています。
以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
ダライ・ラマが語る般若心経 単行本
【参考】
『ダライ・ラマが語る般若心経』
大谷幸三 文/菊池和男 写真/角川書店
画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。
<般若波羅密多心経>
―聖なる観音菩薩は、悟りに到る智慧を沈思し、
現象の本質の空と、五つの集積したものの空もまたお見徹しになりました。
さて、シャリプトラよ。
形あるものは空であり、空は実に形あるものである。
形あるものは空以外のものではなく、空は形あるもの以外ではない。
形あるものが意味するのは空であり、空が意味するものは形あるものである。
同じように、感じるものも、識別することも、心が作り出すものも、認識も空である。
さて、シャリプトラよ。
すべての現象は空を特質とする。
それらは生じず、滅せず、汚れず、清純でもなく、完全ではなく、不完全でもない。
したがって、シャリプトラよ。空においては、
形あるもの、感じるもの、識別することも、心が作り出すものも、認識もない。
眼なく、耳なく、鼻なく、舌なく、身なく、心もない。
形なく、音なく、臭いなく、味なく、触れるものも、現象もなく、
視覚が捉える要素がないのと同様、意識の要素もない。
知はなく、無知もなく、知や無知が尽きることもない。
そして、それは老や死がないところまで、老や死の尽きるところに到るまで。
苦なく、始まりがなければ終わりもない。
悟りに到る道なく、叡智もなければ、達成することも達成しないこともない。
菩薩らは、悟りに到る智慧の波羅蜜多に依られて、
心に障碍を持つことなく止まられる。
心に障碍がない故に、怖れなく、障碍は克服され、究極の涅槃に到達する。
三度この世に住まわせられるすべての仏陀は、智慧の波羅蜜多に依拠され、
完全にして究極、真性の悟りを得たもう。
したがって、人は知るべきである。般若波羅蜜多が偉大な真言であることを。
偉大な真言であることを。究極の真言であることを。
他に比肩するものなき真言であることを。
一切の苦を鎮める真言であることを。
偽でなき故に真実なり。
般若波羅蜜多の真言はかく唱える。
ガテ ガテ パラガテ パラサンガテ ボディ スヴァハ。
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
ダライ・ラマが語る般若心経 単行本
【参考】
『ダライ・ラマが語る般若心経』
大谷幸三 文/菊池和男 写真/角川書店
画像については、書籍の内容を参考に作成したものです。
それ以外の追加情報については、参照元を個別に記載します。
さまざまな高僧たちの般若心経の解説を、それぞれ比較しつつ学んでいくことが、この経典の意味する本質を理解するのに最も役立つということである。これは、ごくごく一般の人にとっても、十分に行い得る方法だ。手に入るもので学ぶことが肝要だろう。ダライ・ラマ十四世(●般若心経について【自己変容の道】)
【ダライ・ラマ】Wikipediaより引用
ダライ・ラマ14世(1935年7月6日 - 在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。法名はテンジン・ギャツォ。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に。1959年に中国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命。亡命後は、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞し、国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされる。
【ブッダ】Wikipediaより引用
仏陀(ブッダ)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。サンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。一般には、釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を「ブッダ」と呼ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内在する真我を「ブッダ」と呼んだり、「仏性」とよんだりする。