「存在」の本質は至福意識です。それは、絶対の本質と永遠の地位をもった集中した幸福です。「存在の技術〜本質は至福」であるという内容についてマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの著書より引用しています。
以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
『新訳 超越瞑想入門』―存在の科学と生きる技術 単行本
【参考】
『新訳 超越瞑想入門』存在の科学と生きる技術
著者:マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
出版:読売新聞社
初版:1992年12月18日
第10版:1998年1月10日
画像については、無料素材を編集して使用しています。
追加情報については、参照元を個別に記載します。
存在の技術とは、「存在」の価値を複雑な人生の中で見失わないようにするだけでなく、あらゆる領域、あらゆる意識状態において「存在」を自然にまた完全に維持し、「それ」を活用することによって、生命のさまざまな面を栄光化し成就に導くことを意味しています。
生命のさまざまな面とは、神経系、体、心、五感、環境、カルマ、呼吸、思考、言葉、経験、行動などのことです。あらゆる意識状態とは、目覚めているとき、夢を見ているとき、眠っているときの三つの意識状態のことです。
「存在」を生きる技術がなくても、「存在」は実存しています。なぜなら、「存在」なしに実存するものは何一つありえないからです。「存在」を抜きにして、いったい何が存在しうるでしょうか。「存在」は目に見えるものの背後に隠れていますが、実存するものすべての基礎なのです。
「存在」の本質は至福意識です。それは、絶対の本質と永遠の地位をもった集中した幸福です。したがって、存在の技術とは、幸福の集中的な状態を絶えず、いかなる状況にあっても生きるべきである、ということを意味しています。
存在の技術が要求することは、少なくとも「存在」を見失ってはならないということと、正常な状態として「存在」が生命を支配していなければならないということです。
つまり、生命とは本来、至福に満ちているものであり、苦悩、悲惨、緊張、混乱、不調和とは関係のないものです。生命のさまざまな領域、すなわち思考、言葉、対人関係などに、自然に「存在」を自覚している状態が常に行きわたり、生命が「存在」の完全な価値において生きられるようになるべきです。
したがって、存在の技術とは、人間の生命の最も内側のレベルにある「存在」に到達し、隠れた超越領域から「存在」を引き出して、相対生活の中に取り入れる技術のことです。
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
『新訳 超越瞑想入門』―存在の科学と生きる技術 単行本
【参考】
『新訳 超越瞑想入門』存在の科学と生きる技術
著者:マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
出版:読売新聞社
初版:1992年12月18日
第10版:1998年1月10日
画像については、無料素材を編集して使用しています。
追加情報については、参照元を個別に記載します。
瞑想と日常は、共に必要であり、両者は一つとならねばならない。それは、常に〈在る〉でいるということだ。『“それ”は在る』ヘルメス・J・ジャンプ/著より引用。
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「こんな状態の私は最悪だ」と思う必要はありません。なぜなら移り変わり変化する雲の上には、どんな人の心の中にも広い広い青空が宇宙まで広がっているからです。
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日常生活の中で苦しくて出口が見つからないような時でも、意識レベルを変化させれば、自己の全体を俯瞰して道を見出せます。
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