並行現実を調和する
並行現実(パラレルワールド)の経験から約3年経過し、ようやく書く気持ちになりました。この経験についての認識が、自分の中で調和したように感じられたからです。
この体験を説明しようと見つけた情報のうち、下記の2つがよく似た説明に感じられました。
1)パラレルワールドの仮説の一つ「Membranes(膜)」のイメージ
2)『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著)に書かれている時間の説明
目次
2019年5月5日牡牛座新月
2019年5月5日 牡牛座新月の日。最初は小さな デジャヴュから始まりました。
換気扇の排気と吸気が逆向きに設置されていたことに夫が気づき、再工事を依頼した昼間のことでした。「親切な業者さんだったのに残念だね」「納品確認テストは重要だよね」と夫と話していると、
「同じ会話をつい最近したことがある」と気づき、リアルな デジャヴュ感にめまいがしました。 デジャヴュは頻繁に起こるので驚かないのですが、全く同じ状況の同じ会話という実感があまりにリアルで、気持ち悪くなったのです。
「ママ大丈夫?」と目の前で心配する夫を置き去りに、そのリアルな実感の記憶に引きずり込まれるような感覚があり、次々と「少し前の同じ状況の別の記憶」が目の前の透明なスクリーンに動画のように展開され始めました。
パラレルワールド体験
晴天の午後、夫と二人で荒川土手を散歩して、広く青い空や、ゆったり流れる荒川、新緑の木々を眺めていると、先ほどの状況が嘘のように心地よい時間が流れます。二人で話しながら、のんびり数キロ歩いた帰り道のこと、突然、私の足が止まりました。
また私の意思や気持ちや状況とは無関係に、目の前に色々な経験の映像がスクリーンのように、リアルに展開され始めたのです。
ほんの数分立ち止まっている間に、私はいくつかの経験セットのような状況の中に居ました。その経験セットの中で色々な経験をして出てくることを数秒のうちに繰り返していたのです。スクリーン動画の中で、今まさに色々と経験しながら数年分生きて出てくることを、複数のスクリーン動画から出たり入ったり、数セット繰り返していたのです。
「どうしたの?大丈夫」と夫に聞かれ、「ハッ」と我に返ったのですが、その瞬間は今まで経験していた事柄の記憶が鮮明なのに、その経験セットのスクリーン動画が、一つづつ重なり合っていくたびに、記憶が失われていくのです。
私は自分が今見ていたことを記憶し続けようと、急いで夫に説明するのですが、その端から言葉を失っていくような、「あれ?思い出せなくなった」という急激な記憶喪失になるような、まるで「人生が走馬灯のように」の短編バージョンを体験しました。
正気に戻った時に記憶に残って居たのは、その中で実体験をしながらリアルタイムで進んでいる動画が、数え切れない数展開されていて、その中に引き込まれると経験も記憶もリアルなのに、一歩外に出ると全ての記憶が失われてしまう。さらに、その経験セットは、最終的に重なり合って、一つ一つを確認できなくなってしまった、ということだけです。
少し覚えていたのは、ある経験セットの中で、今の家族構成で生きているのだけれど、何か少しづつ違っていて、でもその中に生きている時は、それを普通と感じている、そういう印象でした。
私の体は夫の目の前の土手にいたので、私の「意識だけ」が、それぞれの経験セットの中に生きている私の体に入って、人生を生きていたのだと思います。すべて「いつもの私」と感じながら。
ほんの数分間の間に、幾つもの人生を出入りして色々と経験したような、不思議な体験でした。帰り道に考えたことは、経験セット動画のように「今の状況」にも外側から出入りできるのか?ということでした。
パラレルワールドの仮説
その経験が何なのか、私が観たものは何なのか、全く検討がつかず、帰宅してから長時間検索しました。
検索した結果、私が観たものに最も近いイメージは、下記サイトに描かれていたパラレルワールドの仮説の一つ「Membranes(膜)」のイメージです。
●「パラレルワールド」の可能性を科学的に考えるとこうなる
我々の世界以外にも三次元の世界が複数存在すると考えられます。この三次元世界ひとつひとつが膜のように存在すると考えられ、「Membranes(膜)」と名付けられたとのこと。
https://gigazine.net/news/20160226-parallel-universes-science/
私が体験したのは、このように重なり合うようなスクリーンの一つ一つが、動画のように進行していて、その中に入るとリアルタイムに生きている実感があり、外に出ると記憶が消えてしまうというものでした。
しかも、映画の中にいるような経験ではなく、まさにリアルに人生を生きているような実感があるのです。周囲の景色も自然環境や部屋の様子もリアルそのもの。
これらの数え切れない動画スクリーンのようなものが、我に返る寸前、一方向(左側)に高速で重なり合って消えてしまいました。
この画像は「パラレルワールドの可能性」を説明する3つの仮説のうちの一つでした。
1つ目は「bubble Universe(泡の宇宙)」
2つ目の仮説は「Membranes(直訳:膜)」
3つ目は「Many Worlds(多世界解釈)」
私はSFファンではありませんし、地に足をつけていたいタイプなので、あまり色々と「観たくないタイプ」で、パラレルワールドは「怖い」印象でしたし、興味の対象外でした。さらに上記のサイトも仮説も全く知らず、パラレルワールドについて調べたこともありませんでした。
でも私が体験したのは、2つ目の仮説は「Membranes(直訳:膜)」に似た世界だったのです。
このことを、どのように考えればよいのか全くわからず、文章にするのも言葉にするのも、ブレーキがかかり、そのまま寝かせていました。
量子力学3つの時間
ところが2020年の新年明け、「本屋に行かねば」という焦燥感にかられ、何の本を探しているのか自分でもわからないまま広い本屋を歩き回っていると、一冊だけ光輝いて観えた本がありました。
それが『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著だったのです。
その本を手にしながら「私が今日探していたのはこの本なのか?」と3周くらい本屋を歩き回ったのですが、どうも、この本以外に思いつきません。そこで本の内容もよくわからないまま、購入して帰りました。
この本を読み進めるうちに、もしかしてこれは、5月の体験を説明できる文章に出会えるのかもしれないという予感がし始めました。その予感は次第に確信に変わります。
『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著)に書かれている時間の説明がまさに、体験した時間の在り方と似ているように感じられました。ちなみに、1つずつの並行現実内においては、通常の時間が流れています。しかし、複数の並行現実の全体を眺めた時に、時間の在り方が『時間は存在しない』の説明と似ているのです。
下記は、量子力学がもたらした三つの基本的な発見に沿って、「時間」を説明した箇所の抜引用です。
『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著
◆量子力学の三つの発見
『量子力学は、物理的な変数が粒状であること(粒状性)と[ゆらぎや重ね合わせにより]不確定であること(不確定性)とほかとの関係に依存すること(関係性)、この三つの基本的な発見をもたらした。』
◆粒状の時間〜不連続に飛ぶ
『時間が連続的に継続するとは考えられず、不連続だと考えるしかない。一様に流れるのではなく、いわばカンガルーのようにぴょんぴょんと、一つの値から別の値に飛ぶものとして捉えるべきものなのだ。』
◆不確かな時間〜時空のぶれた「重ね合わせ」
『時空も、電子のような物理学的対象である。そしてやはり揺らぐ。さらに異なる配置が「重ね合わさった」状態にもなり得る。たとえば第四章の最後の時間遅延の図は、量子力学を考慮すると、異なる時空のぶれた「重ね合わせ」としてイメージすべきなのだ。』
◆関係性で生じる時間〜相互作用による関係性
『これらの相互作用ネットワークがこの世界の空間を生み出しているというべきなのだろう。これらは時間の中に存在しているわけではなく、たえず作用し合っており、その間断ない相互作用によってのみ存在する。そしてこの相互作用こそがこの世界における出来事の発生であり、時間の最小限の基本形態なのだ。』
『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著)に書かれている時間の説明がまさに、体験した時間の在り方と似ているように感じられました。時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著)について紹介します。詳しくはコチラ>
パラレルワールドと時空間
上記の記述の中で、私の体験で感じたことに近いのは、「時間が不連続に飛ぶ」「異なる時空のぶれた重ね合わせ」「相互作用ネットワークがこの世界の空間を生み出している」という表現です。
まず、私の意識がスクリーン動画のような経験セットを出入りしながら生きている状況は、まさに「時間が不連続に飛ぶ」という表現がぴったりです。各スクリーン動画の経験セットは、それぞれが異なる時空間の中にありました。といってもSFのようではなく、ごく日常的な普通の世界で、今存在している日常生活と大差ありません。ただ何かが少し違っているような印象です。また数秒差で出入りしているにもかかわらず、その中の出来事は全く異なる時空間であり、それぞれの中で完結していて関連性はない印象でした。「時間が不連続に飛ぶ」感じです。
次にスクリーン動画は最初、少しずつ重なりながら、それぞれの中で出来事が起こっている様子が映し出されているのですが、意識が我に返る直前に、左寄せに高速で重なり合って消えて生きました。「異なる時空のぶれた重ね合わせ」という表現がぴったりです。
最後に、各スクリーン動画の一つ一つは、何が特徴的かといえば、場所や時間ではなく、人や出来事が中心になっているように感じました。しかも、特別な出来事ではなかったように思います。家族や数人の誰かと何かをしているような、ささいな出来事を中心に構成されていました。「相互作用ネットワークがこの世界の空間を生み出している」というのが、ちょうど良い表現のように感じました。
パラレルワールドの私とは
5月の経験をパラレルワールド体験であると仮定した時、私は色々な問いに悩まされることになりました。
もし、このようにパラレルワールドで生きることが可能だとして、いったいどれが本物の私なのか?またパラレルワールドを自由に行き来できるとして、私は何をどのように選択するべきなのだろうか?
たとえば、一番幸せなパラレルワールドに意識の中心を置いた場合、不幸な世界や人々を見捨てることにはならないか?逆に不幸な世界に居続けたとして、どうすれば幸せな選択ができるのか?
そういう問いにしばらく悩まされていたのです。
これまでも、急に世界が変化したように感じたことが何度かありましたが、それは無意識にパラレルワールドに移行していたからだとわかりました。これまでは見えなかっただけで。
このような状況は、以前感じたことがあります。全チャクラと関連する全人格を知った時です。あの時も、どの人格が本当の私なのか?どのチャクラで生きればいいのか?と不安になっていました。
けれど結局、全ての人格、全てのチャクラは内側にあり、私はその全てだと分かったのです。一つのチャクラ意識に入り込んで全体が見えなくなってしまわないようにする必要があるのと同じです。
そしてチャクラ人格全てを見渡すことができるように、並行現実の全体を見渡す所にいればいいと思えるようになりました。つまり、高次意識と同じような立場で、常に全体を観るよう心がければいいと、ようやく思えるようになったのです。
並行現実のすべてが融け合う地点
『ライトボディの目覚め』には、「並行現実のすべてが溶け合う地点」について次のように説明されています。
『あなたのスピリットの意志にそわないことを選択するたびに(スピリットの選択は必ず起こりますが)、その選択を支えるための平行現実がひとつづつ生み出されるのです。したがって、こうした平行現実は何十億、何百億、何千億も存在するわけです。あなたがたの全員が時間軸をまたがって散らばり、目覚めてスピリットについていくようになれば、そうした平行現実のすべては引き戻されます。いまあなたはすべての平行現実の恒常的な融合のなかに生きているのです。つまりそうした平行現実のすべてが融け合う地点というものがあり、そこにはただその創造の瞬間からスピリットの道だけが存在するのです。』
『どんな平行現実においてであれ、あなたが「光」を選択するときはいつでも、過去に経験したすべての人生に影響を及ぼすのです。どこもかしこも全部にです!なんとパワフルなことでしょう。ある人がひとつの人生で「光」を選ぶとき、それはあらゆる時とあらゆる平行現実にわたって惑星全体に影響するのです。』
ライトボディの活性化レベルについて、『ライトボディの目覚め』より一部を抜粋して引用しています。詳しくはコチラ>
光を選択した方がいいと実感
2019年5月5日のパラレルワールド体験を思い返してみると、無意識に並行現実に吸い込まれていくような状態でした。輪廻転生を繰り返すのもこういう感じなのではないか?と感じたのです。
ある過去生のような記憶の中で、同じようにスクリーン動画を見て、その人生に転生することを決めた記憶があるので、意識的か無意識かは別にして、複数の現実に出入りすることは可能なのだろうと思います。
けれど、無意識に吸い込まれた経験時は、怒っている時でした。(換気扇を逆に設置されたので)
そのように怒りや、執着や、苦しみの経験が、無意識の転生を生み出すのだと思います。ですから、「光を選択した方がいい」という説明には納得がいきました。
つまり、光を感じている時は、無意識にパラレルワールドを創ったり、そこに吸い込まれたりすることなく、意識が明確な状態で「今ここ」に生きることができ、全体を見渡すこともできると実感したのです。
新しい認識は自然に調和する
新しい認識を得たときは、興奮して深みにハマらないよう、しばらく様子を見るようにしています。今回のパラレルワールドの経験も3年間そっと寝かせておきました。
そうすることで、日常生活の中で、自然に認識が調和されたように思います。そうすれば、大騒ぎすることなく、危険な目にあうこともなく、苦しみの種を撒き散らすこともありません。
時期がくれば、ごく普通の日常に取り込まれ、自然に調和されていきます。
これまでも、チャクラ、ライトボディレベル、意識レベル、高次意識、ヴォイドなど、色々な新しい知識や認識を得るたびに、数年はそっとしておきました。しばらくすると、自分の中で認識が調和され、ごく自然に扱えるようになります。
パラレルワールドについての認識は、できるだけ意識を明るく持ち、全体を調和して統合する方向で、また数年寝かせておこうと思います。
けれど、この経験については、当時から書ける時がきたら書くことを決めていたので、ようやくその時(経験を調和できた時)が来た今日、書かせていただきました。
きっかけは、今日ある動画のコメントで同じような経験をした人の短い経験談を読んだからです。それで、ようやく決心がつきました。
良い種となりますように
並行現実や転生に無意識に巻き込まれないためには、できるだけ、意識を明るく保つのが良いと思います。けれど、恐れる必要はなく、どのタイミングからでも「光を選択する」ことで調和・統合できるのだと思います。
この記事が皆様にとって、良い種となりますよう心からお祈りしています。もし、悪影響を感じたときには、これまでの多くの記事やブログ同様に削除いたします。良い影響だけがありますように。