三蔵法師・玄奘の旅
三蔵法師・玄奘の旅が実際にどのようなものであったか知りたいと思っていました。
孫悟空が慕う三蔵法師
私の中には孫悟空のような部分があり、私は幼い頃から三蔵法師を慕っていました。
【参照】●孫悟空が観念した日-逃げ出せない目的〜YOD(神の手)【心の声】
西遊記の物語を、幼い頃から映画・テレビドラマ・アニメなどで何度も見て来たからかもしれません。
西遊記は、三蔵法師と孫悟空たちが、長安(中国)から天竺(インド)までお経を持ち帰るために旅をする物語です。
【参照】●西遊記(Wikipedia)
三蔵法師のモデル玄奘三蔵
西遊記に登場する三蔵法師には、実在するモデルが存在します。それが玄奘三蔵です。
玄奘(げんじょう・602年 - 664年)は、唐代の中国の僧であり、629年にシルクロード陸路でインドに向かい、ナーランダ僧院などへ巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還しました。帰国した玄奘は、持ち帰った膨大な経典の翻訳に余生の全てを捧げました。
【参照】●玄奘(Wikipedia)
また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著しましたが、これを基に後年、フィクション「西遊記」が作られました。
【参照】●西遊記(Wikipedia)
映画「三蔵法師・玄奘の旅路」
映画について
この玄奘の旅はどのようなものだったのでしょうか。西遊記はフィクションですから、実際の旅の様子を知りたいと思っていたのです。玄奘の著作『大唐西域記』を読むほどの熱量ではないものの、経典を持ち帰った命がけの旅がどのようなものだったのか「いつか」知りたいと感じていたのです。
その願いが偶然、映画『三蔵法師・玄奘の旅路』を見つけたことで叶いました。
現在アマゾンプライムビデオで観ることができます。
【参照】●映画:三蔵法師・玄奘の旅路
映画『三蔵法師・玄奘の旅路』(原題『大唐玄奘』 Xuan Zang 2016年製作/中国)は、
玄奘の長安(中国)〜天竺(インド)の往復17年の旅路と、その後19年の翻訳作業について描かれています。
ネタバレしないように感想を伝えるのは難しいですが、涙もろい私は泣きました。
中国からインドへの旅の大半は砂漠の旅なのです。途中で残りわずかな水を馬に差し出しながら、死にかけるのですが、その馬に助けられ生き延びて、旅の目的を果たすまでの壮絶な旅に心が震えました。
目的のために断る〜高昌王の引き留め
2023年8月2日更新NEW!
玄奘は、高昌(こうしょう)王の宮殿に引き留められ、「我が国に法師が必要なのだ」「どうか此の地に留まり我らを導きたまえ」と平伏して懇願されます。しかし玄奘は、引き留める王や多くの人々を静かに断って砂漠に旅立ちます。「目的のために断る」姿勢は、私が最も知りたいことでした。
『一六六 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。』
「他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ」とダンマパダ(ブッダの言葉)には書かれていますが、判断や断り方が難しい場合も多いと思うのです。
『高昌王である麴文泰は、熱心な仏教徒であったため、当初は高昌国の国師として留めおこうとしたが、玄奘のインドへの強い思いを知り、金銭と人員の両面で援助し、通過予定の国王に対しての保護・援助を求める高昌王名の文書を持たせた。』
【引用】●玄奘(Wikipedia)
高昌王と王妃が玄奘を引き留める様子は、映画でも切実でした。玄奘は数日間の断食で思いを伝えます。玄奘の思いを知った高昌王は、キャラバン隊や物資の援助と共に送り出してくれます。この援助がなければ、玄奘は天竺まで辿り着けなかったと言われています。帰りにも立ち寄る約束で送り出されたのですが、高昌国は玄奘の帰りを待つ間に、唐によって滅ぼされてしまったそうです。
『高昌は玄奘三蔵の西域求法の発着点でもあった。630年に玄奘が出発した時は、文泰に歓待され、城内には50余りの寺院が存在した、と、『大唐西域記』に記している。その後、640年、玄奘がインド遊方の後に帰着した時には、高昌は既に滅んだ後であった。そのため、『大唐西域記』に記す際に、玄奘は「高昌故地」という表現を用いた。』
【引用】●高昌(Wikipedia)
高昌王の切実な願いは心に残るものでした。この辺りのことを詳しく知りたくて、結局『大唐西域記』を注文してしまいました。追記できることがあれば書きたいと思います。
ここまで書いてふと思い出した映画の言葉があります。
途中の寺院で僧が弟子に「夕べ 西へ旅する漢の僧が蓮の上に座る夢を見た」「邪魔してはならぬ 決して」と伝えるのです。(「達盟住持があなたの夢を見たと聞き、私、石盤陀がお伴にまいりました」という青年が現れたので、夢をみたのは達盟住持のようです。)
天竺のナーランダー僧院の学長である戒賢は、「三年前 観音菩薩 弥勒菩薩 文殊菩薩が夢枕に立ち、唐から僧がくるとお告げがあった」「それ以来そなたを待っておった」と伝えます。
【参照】●戒賢(Wikipedia)
このように目的を邪魔せず見守り待つ姿勢は、自国のために引き留めた高昌王と比較すると、高次の意志に沿っているように感じました。
般若心経の訳者「玄奘三蔵」
玄奘三蔵が命がけで持ち帰った経典657部の中に、「般若心経」があります。
インナーウィッシュでも紹介している「般若心経_漢訳全文」は訳者が「玄奘三蔵」と書かれています。
玄奘自身は亡くなるまでに持ち帰った経典全体の約3分の1までしか翻訳を進めることができませんでした。それでも彼が生前に完成させた経典の翻訳の数は、経典群の中核とされる『大般若経』16部600巻(漢字にして約480万字)を含め76部1347巻(漢字にして約1100万字)に及びます。玄奘はサンスクリット語の経典を中国語に翻訳する際、中国語に相応しい訳語を新たに選び直し、それ以前の鳩摩羅什らの漢訳仏典を旧訳( くやく )、それ以後の漢訳仏典を新訳( しんやく )と呼びます。
【参照】●玄奘(Wikipedia)
「般若心経」は短いお経ですが、このような経典の向こうに、17年にも及ぶ玄奘の旅路があることを思うと感慨深いです。
今は経典やその様々な翻訳も、書籍やインターネットで簡単に読むことができます。けれど、そのように多くの人に役立てるために、玄奘三蔵をはじめとする先人達による命懸けの努力があったことを忘れずにいたいと思います。
また、命をかけても知りたかったこと、伝えたかったことは何なのか。少しでも知ることができればと思っています。
inner-wish補足
玄奘三蔵への思いは、西遊記の影響かもと書いていますが、たぶん、そうではないように思っていました。
それより深いところにある何か。その何かを知りたいと思い続けていたのです。
今回、映画「三蔵法師・玄奘の旅路」を観て、何を知りたかったかがわかりました。
それは「目的に動かされる」ことについてです。
玄奘三蔵は「目的に動かされ」ていました。途中で何度も迷い、諦め、挫折、命の危険、阻止、などあらゆる困難に出会うのですが、最後まで目的を完了します。そして、その目的はあきらかに守られているのです。
もちろん映画だから、ということもあるでしょうが、実在した玄奘三蔵も、17年の旅と19年の翻訳作業の後に亡くなります。
私が知りたかったのは、その「目的に動かされる」生き様でした。
映画を見て感じたのは、玄奘が目的に従って生きているというより、玄奘が目的に生かされている様子でした。
この映画を見て勇気が出たというわけではありません。玄奘三蔵の目的は大きく、命がけで壮絶な旅路なので、圧倒されたという感想が近いです。けれど、目的を達成したシーンがあまりにも美しく感動的でした。それだけでも、この映画に出会えて本当によかったと思います。
私は自分の小さな目的にも、迷い逃げている部分もありますが、少しずつ前進するための心の支えになる映画となりました。
2023年8月1日 inner-wish
2023年8月2日更新 inner-wish
2023年8月1日公開 inner-wish
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