世界観と穏やかな距離
異なる世界観に穏やかで安全な距離を保つことについて。
世界観を感じる
私は幼ない頃から、
自分とは異なる世界観の中で
過ごす機会が多かったように思います。
そのため、
この場所の世界観はどんな感じか?とか、
周囲の人の世界観は?この集団の世界観は?
と把握しようとする癖がありました。
そうやって観察していると、
「世界とはこういうもの」と
固定した一つの世界観を持つ人、
自分の中に数多くの世界観を保持する人、
その場その場の世界観に合わせる人。
自分の世界観を静かに守る人など、
世界観の取り扱い方に
個人差があることがわかりました。
異なる世界観が共存
今の世の中は、
異なる世界観が共存していて、
異なる世界観を
昔以上に知る機会が多くなりました。
異なる世界観を持っていても、
普通に生きることが可能です。
土地や集団の世界観
土地や集団には
それぞれの世界観があります。
その土地や集団に属する人と関わると、
その世界観をより深く
感じることができます。
けれど、土地や集団に近づくだけで、
何か特殊な世界観を感じることもあります。
多種多重の世界観
一人の人の中には
多種多重の世界観があります。
本人が明確に意識している場合もあれば、
全く認識していないケースもあります。
例えば、一生同じ土地で暮らし、
一生同じ集団に属している場合で、
世界観が固定されている場合、
「世界とはこういうもの」という
一つの世界観を動かない現実であるように
感じる人もいます。
それで困ることなく
幸せに一生を過ごす人も多いのです。
意識レベルと世界観
高次の意識レベルが開かれると、
通常の意識レベルとは異なる
見え方が生じるため、
世界観が多重化し始めます。
自分の中の多重化した意識レベルごとの
世界観を感じるようになります。
また外側の世界についても同様に多重化した世界観を感じます。
また、縦(レベル)や横(空間)の
それぞれ異なる世界観に、
時間による世界観の変化が加わります。
またそのような世界観のセットが、
少しずつ違う形で存在するような
感覚を持つので、
世界観が無尽蔵に
存在するように思われます。
世界観の変化
けれど、それらは常に流動的で、
生じて変化し消滅していくような、
創造プロセスを繰り返しているので、
固定したものではないように思えます。
唯一変わらないように感じられるのは、
そのような創造的な変化が現れ消える、
背景のような存在です。
けれど、それももっと長期の目で見れば、
変化していることがわかるのかもしれません。
世界観と穏やかな距離感
通常の場合、
相手や集団がどんな世界観を持っていても、
それほど気になることはなく、
理解したり把握したりすれば、
スルーできることが多いのです。
けれど時々、その世界観は危険だとか、
その世界観は自他に悪い結果をもたらす、
と感じる場合があります。
そういう時が一番強く
世界観を感じる時かもしれません。
そのように各自にとって
受け入れ難い世界観は、
長い歴史を振り返っても、
緊張や争いの原因になりがちです。
世界にとっての最適解はわかりませんが、
私個人のことで言えば、
受け入れ難い世界観に対しては、
「穏やかな距離感」を保つこと
かと思っています。
「お互いの違いを受け入れられる」
「お互いに危険が及ばない」
「違いの刺激が緊張や争いに発展しない」
「お互いに敬意を保てる」
ような
「穏やかな距離感」を保つ。
物理的な距離感を保てない場合は、
「心理的距離感を保つ」
イメージです。
「自然界の種別の安全な距離感」
というものは、
同じ自然界に生きる人間にも、
参考にできるものがあるように思います。
2023年8月18日更新 inner-wish
2023年8月18日公開 inner-wish