孫悟空が目的に協力する理由
全人格が目的に協力する必要があり、そのために集められている、つまり協力して力を発揮する必要があるのだと、孫悟空的人格自身が気付かされた経験について。
目次
逃げられない目的と孫悟空
「孫悟空に似てるなあ」と思うことが多かった子ども時代の私。それ以外にも様々な面があったのですが、よく反省を強いられるのは、「自由・好奇心・冒険・行動力・強さ・イタズラ」が裏目に出るこの部分でした。一方で「はやく三蔵法師が助けにきてくれないかなあ」と「智慧や慈悲」を求めるような子どもでもありました。
ある日、人生の目的とバースチャートにあるYOD(神の手)の関係に気づき、この悟空的な部分が大騒ぎし始めました。「逃げ出したい」「何か抜け道はないか」「これは思い込みではないか」とYOD(神の手)から逃げようと慌てたのです。
けれど、逃げたい気持ちで運転していた車のタイヤがパンクして、とうとう孫悟空的な私の部分が観念しました。孫悟空がお釈迦様の手のひらで観念したように、私の孫悟空的部分もYOD(神の手)に観念した日の出来事です。
【参照】孫悟空が観念した日-●逃げ出せない目的〜YOD(神の手)【心の声】
その日以降、孫悟空的な部分は影を潜めていました。つまり人生の目的を引っ張っている部分に任せて、「邪魔しないように」と自分自身を封印していたようです。
トットちゃんと孫悟空
ところが先日、映画「窓ぎわのトットちゃん」を観てから、内側のエネルギーバランスが危うくなっていました。
私の子ども時代はトットちゃんと似ていたと次のような感想を書きました。
『私もトットちゃんのように自由な子どもで、幼馴染の男の子を引っ張って冒険に連れ出す子でした。今、大人の目線でトットちゃんをみると、当時の大人たちが心配したのも理解できるようになりましたが、当時は全く問題ないと思っていたのを覚えています。』
【参照】子どもの目が開く世界-ちひろ美術館・トットちゃん〜子どもの幸せと平和【心の声】
このトットちゃんに似ていた子ども時代の自分こそ、孫悟空的な部分です。子ども時代の孫悟空的な私は、とにかく自由人でした。本能で衝動的に動く自由人だったのです。誰とでも仲良くできるリーダータイプで、成績はよく、集中力、正義感、優しさもあったのですが、とにかく強いエネルギーで自由に行動する子どもでした。
映画「窓ぎわのトットちゃん」を観てからというもの、私の中のトットちゃん&孫悟空のような、本能的・行動的・衝動的な自由人のエネルギーが強くなり、ちょっとバランスを見失いそうになったのです。
三蔵法師の数珠と孫悟空
孫悟空的な部分が強いエネルギーを取り戻し、バランスを失いかけていたので、落ち着こうと、中国映画の西遊記を観ることにしました。つまり、映画の三蔵法師になだめてもらおうと考えたのです。
すると、次のような印象深い場面がありました。
三蔵法師玄奘が、数珠を見せながら説明するのです。
この数珠は色々な石がつながって作られている、この数珠のように私たち(玄奘・孫悟空・沙悟浄・猪八戒)が協力しながら一緒に天竺へ経典を取りに行く必要があると気づいた、というような内容でした。
孫悟空が一足飛びで天竺に経典を取りに行っても意味はなく、全員で協力して苦労しながら一歩づつ取りに行く必要があるのだということも言われていました。更に、高次の意志として観音菩薩や如来からも説明があります。
これまでの経験から、私の孫悟空的な人格は目的に従う必要があると思ってはいたのですが、「目的の邪魔をしてはいけない」程度にしか感じていたなかったと気付きました。
けれど、全人格が目的に協力する必要があり、「そのために集められている」。つまり協力して「力を発揮する必要がある」と、「孫悟空的人格自身が」気付かされたのです。
「高次の意志と目的に全人格が協力する」ということは、全人格がそれぞれの立場から、「自分の力を使って協力する必要がある」と実感するということです。
全人格が協調するためには、各人格がそれぞれ浄化しながら調和する必要もあります。人生という道のりの中で、目的に向かって全人格が協力・協調していくのだと、それぞれの人格が実感する必要があるようです。
各人格が協力できる力
私の場合、どのチャクラが強く働くかによって、異なる性質が強く出ます。それは異なる人格のようです。ただし、常に客観的な視点もあるので、独立した多重人格のようにはなりません。部分的な性質が強く表面化するというイメージです。
それぞれのチャクラ人格(性質)は、これまでそれぞれの浄化を行なってきました。それぞれの課題や過去・過去生の問題を浄化して手放し、お互いの不調和を調和してきたのです。ようやく、全体的に調和がとれて、目的に沿って協力しようというところまでは進んでいました。
けれど、高次意識や目的に沿って、どのように力を出せばいいのかわからず、それぞれ身を潜めているような状態でした。「目的の邪魔をしないようにしよう」と。
ところが今回、「各人格が自分の力を使って協力する」必要があると感じるようになったのです。
厳密に言えば、例えば高次意識や上位のチャクラ人格は、常々その必要を感じていて、何度も各人格の力について説明を続けていたのです。今回何が違うのかと言えば、「孫悟空的な人格」である第3チャクラを中心とした人格が、自らその必要性に気づいたということです。
簡単に書くと次のような力をそれぞれ発揮して育てると言われていました。実際にはもっと複雑な説明があるのですが。
8:日常生活者の変容指導力を育てる
7:日常生活の中で変容力を育てる
6:日常生活の中で平和を育てる
5:日常生活の中で調和を育てる
4:日常生活の中で愛を育てる
3:日常生活の中で勇気を育てる
2:日常生活の中で希望を育てる
1:日常生活の中で安心を育てる
今回、「孫悟空的な人格」である第3チャクラを中心とした人格は、心の底から、「自分の持っている勇気」を、目的のために発揮していく必要がある、それが「自分の役割」なのだと実感したのです。
沙悟浄からの視点
そのようなことを夫に報告していると、「昔、沙悟浄(さごじょう)の視点から書かれた文章を読んだことがある」と言われました。その文章とは『悟浄歎異』(中島敦/著)だと。
私は昔から孫悟空か三蔵法師玄奘にしか興味がなかったので、「沙悟浄の視点」と言われても全く想像がつきませんでした。
そこで調べてみると、美しい解説が書かれた下記サイトを発見。
●中島敦『悟浄歎異(ごじょうたんに)』あらすじ&解説&感想!沙悟浄は孫悟空から何を学ぶのか?(あらら本舗)
このサイトで沙悟浄に興味を持ち、『悟浄歎異』が収録されている、中島敦全集〈2〉 (ちくま文庫)を注文したのです。ところが届いた途端、次女に持っていかれてしまい、現在手元にありません。
そこで、青空文庫の『悟浄歎異』を紹介することにしました。『悟浄歎異』には、沙悟浄(さごじょう)目線の西遊記メンバー紹介が描かれています。
中島敦の著作は「山月記」が有名です。
『悟浄歎異』は沙悟浄の手記として描かれていますが、やはりどこか「山月記」の虎になってしまった主人公「李徴」を思い出させるものがあります。
それでも、虎になってしまったことを嘆いている李徴とは違い、『悟浄歎異』の沙悟浄は、三蔵法師・孫悟空・猪八戒を尊敬の眼差しで観察し、自分の中にも彼らの萌芽を見出しながら、最後まで共に旅を続けようと強い気持ちを持っているのがわかります。そして、沙悟浄の目に映る世界はとても美しく輝いているように感じました。
共に人生の旅を続ける意味
「孫悟空が目的に協力する理由」と題して始めた本ブログ。
実は中国映画の西遊記で、観音菩薩から悟空が重要な話を聞かされます。
三蔵法師は、孫悟空と出会うために九度も転生したというのです。孫悟空を導くためだそうです。
そして観音菩薩は孫悟空を次のように諌め、諭します。
孫悟空は自分の物差しでしか他人を判断していない。孫悟空には現実が見えますが、三蔵法師は心を見ています。
今、三蔵法師に危険が迫っています。孫悟空の助けが必要なのです。
その後、助けに向かった孫悟空は、三蔵法師が他者を助けるために十度でも転生すると言う場面に出くわします。その時、自分と会うために九度も転生してくれたことを思い知るわけです。
私自身、自分の過去生を三十近く思い出した結果、この人生で共に旅を続けようという人と出会い、自分自身の中に異なる人格として集まっている者も多いと感じています。同じ目的のために、それぞれ異なる理由で集まっているのです。
私の魂の願いは「愛・調和・平和を創造しながら日常生活の変容を実現すること」です。これはインナーウィッシュの目的でもあります。この目的のために、これまで何度も転生を重ねてきました。
その中の一人、孫悟空的な人格は、誰かのために戦う、あるいは守る転生を繰り返してきたように思います。けれど、今生で共に人生を旅する人や人格や高次意識から学び、自身の中にも変化を見出し、自分にできる力を発揮して、人生の目的に協力する必要があると感じたのです。
つまり戦いの人生ではなく、「愛・調和・平和を創造しながら日常生活の変容を実現すること」のために自分の力を使うということです。
これは他の人格にも当てはまることです。それぞれの人格が関連する過去生の課題を手放し、この人生で共に目的のために協力する。これが全人格が共に協力し学び合いながら、共に生きる人達と、人生の目的に沿った旅を続ける意味だと思います。
2024年1月31日公開 inner-wish
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