「生命につながる繊細な部分」を少しずつ日常生活の中で生きるようになれば、生命の輝きや、真の思いやり、全ては一つであること等を実感できるようになります。その結果「愛ある強さ」が育ち始めるのです。
とても繊細な心の持ち主は、「強さ」と無縁のように思われがちですがそうではありません。
一般的に言えば、「強さ」とはパワフルで強気なイメージがあります。「押しの強さ」や「強引さ」や「力強い言葉」や「強気な態度」などが「強さ」と関連づけられやすい特徴です。
しかし、これら一見強く見える印象も、防衛や反撃の手段であったり、牽制であったり、恐れや不安に起因する、自分を守るため手段であることが多々あります。
では、その強いイメージを使って何を守っているのでしょう?それは、多くの人々の奥底に存在する繊細や柔らかく傷つきやすい部分です。
そのような繊細な部分は、強さを競うパワーゲームに参加することはありませんし、強さに威嚇されても反撃することはありません。ですから、あらゆる「弱さ」のイメージを押し付けられる場合があります。
その繊細な部分は、確かに傷つきやすく壊れやすい部分かもしれません。けれども、その部分は、生命とつながる「愛ある強さ」の可能性を秘めています。
まるで生まれたての赤ん坊のように、大いなる生命とつながった繊細な部分を、日々の生活の中で少しずつ生きるようになれば、次第にこの繊細な部分の真の強さが現れるようになります。それはいわゆる強いイメージではない、愛ある強さです。
幼い頃からずっと、このような繊細な部分でありのままに生きている人もいます。そういう人は「いわゆる強い」人々から「弱者」扱いされがちですが、実際にはそうではありません。「いわゆる強い」人々が隠し守っている繊細な部分のままで長年生き続けているのです。そのため、繊細な部分を隠し、守るために戦う必要もなく、防衛・反撃・牽制をする必要もありません。
長年、繊細な部分で生きている人々は、日常生活の中で「愛ある強さ」を身につけて行きます。自他を傷つけることなく、ありのまま強く存在する術を学び続けているからです。
このような人々をスケープゴートにしたり、いじめたり、パワハラを加えたりする「いわゆる強い」人々は、反撃や仕返しをしないその相手が、どれほど強い愛を持って対峙しているのか、やがて思い知ることになります。
これは「強い人」と「弱い人」の話ではありません。そうではなくて、全ての人の中にある「強さを誇る部分」と「生命につながる繊細な部分」の話です。
「生命につながる繊細な部分」を少しずつ日常生活の中で生きるようになれば、生命の輝きや、真の思いやり、すべては一つであること・・・などを実感できるようになります。その結果、「愛ある強さ」が育ち始めるのです。
「生命につながる繊細な部分」を日常生活の中で生きることは、自他にとって大きな恵みをもたらし、愛・調和・平和の方向に生き方の舵をとることになります。
自己の繊細な部分を隠し守るのではなく、日常生活の中で感じながら生活してみてください。慣れないうちは、非常に心細く不安に感じるかもしれません。最初は安全なタイミングで繊細さを感じてみると良いでしょう。またそういう部分の気持ちをよく聴いてみるのも役にたちます。
「生命につながる繊細な部分」を日常生活の中で生き始めることにより、新たな発見があり、人生の新鮮な変化が始まります。それは小さなチャレンジにつながるようになるでしょう。
2017年12月7日 inner-wish
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2021年8月30日 inner-wish
HSC(人一倍敏感な子)・HSP(人一倍敏感な人)のチェックリスト等を『ひといちばい敏感な子』(エレイン・N・アーロン著)より紹介しています。また、エンパス(共感力者)のタイプについても紹介しています。
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集団になると誰かをスケープゴートにして平気な人々も、一人一人は心優しく思いやりある人のはず。スケープゴートの因果を巡らせないためには、悪い流れを止めることが大切です。
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