性格に合わせた瞑想(『坐禅三昧経』より)について『仏教瞑想論』(蓑輪顕量氏/著)より引用しています。
以下の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
『仏教瞑想論』 蓑輪顕量/著
【参考】
『仏教瞑想論』
著者:蓑輪 顕量
出版:春秋社
初版:2008年12月1日
第5版:2021年3月20日
文章は抜粋して引用しています。
小見出しは内容に沿って作成しました。
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追加情報については、参照元を個別に記載します。
部派仏教の時代の瞑想と大乗仏教が成立してからの瞑想を、連続するものとして位置づけている『坐禅三昧経』は、長安から洛陽などの中原の地で用いられた禅観経典の代表的なものです。
この経典は、漢文も比較的平易であり、また流布したものと言われていますので、この経典を通じて少し五世紀初頭の中国仏教界の瞑想を見てみます。
『坐禅三昧経』は上下二巻から成り立っていますが、現在のような形になる前に、三巻本の体裁のものもあったと推測されます。その第一巻の冒頭部分に登場するものは、まずその人がどのような性格であるかを問うということです。
もし異性に対する関心が強い人であれば不法門によって治し、もし怒りっぽい人であるならば慈心法門によって治し、もし愚かさが多い人であるならば思惟して因と縁とを観察する法門によって治す。もし思惟や覚知の多い人であれば息を念ずる法門によって治し、もし等分(何事も等しく考えてしまう)が多い人であれば仏を念じる法門によって治す。(大正十七、二七一下)
と示されています。人間の性格に合わせて、瞑想の種類が異なっているという視点を提示してます。不浄を観察する不浄観や慈悲心を養うと言われる慈悲観など、それぞれの性格の人に効果がありますよ、と述べているのです。
つまり、『坐禅三昧経』は、いろいろな種類の瞑想を説いていますが、その一つ一つがどのような性格の人に適しているのか述べているのです。人の性格に応じて、主にどのような瞑想をすれば、その性格が改善されるか、と説いているところが一つの特徴ではないかと思います。
そして、それぞれの瞑想の内容について説明が進んでいくのですが、それらに共通する、同じような表現が登場します。それが、
ほかを念じさせない。ほかにさまざまな縁を念じたならば、念をおさめ取ってもとに還らしめなさい。(大正十七、二七一上)
というものです。観察の対象とするものが決められているのですが、心が動いてほかのものに移ってしまったときには、もとに戻りなさい、と注意を促しているのです。
これは、まさしく心を一つの対象に結びつけ、それを気づき続けていくようにと促していることに他なりません。
そして、ここには止の特徴が明確に示されています。すなわち原始仏教の時代から継承される瞑想の基本である「止」が、『坐禅三昧経』には、確実に継承されていることが指摘できます。
以上の紹介内容は、すべて下記より引用しています。
『仏教瞑想論』 蓑輪顕量/著
【参考】
『仏教瞑想論』
著者:蓑輪 顕量
出版:春秋社
初版:2008年12月1日
第5版:2021年3月20日
文章は抜粋して引用しています。
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