中庸・中道のバランス

更新日:2024/05/02 公開日:2016/08/23

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中庸・中道のバランス【今日の言葉】

中庸・中道のバランスをとる

調和のとれた「程よい」状態でバランスをとることが役立ちます。

 


目次


『中庸』とは「偏らず、過不足なく、極端に走らない人間の徳」

 

『中庸』とは、「偏らず、過不足なく、極端に走らない人間の徳」を説明する言葉です。

 

『中庸』は儒教の思想です。

「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中立であること。過不足がなく、極端に走らないこと。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた」(大辞林より)

 

『中庸』という言葉は、『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆されたのが文献初出と言われている。それから儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきた。だがその論語の後段には、「民に少なくなって久しい」と言われ、この「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念でもある。(Wikipediaより)

 

2016年8月23日 inner-wish


過ぎたるは及ばざるが如し

 

「過ぎたるは及ばざるが如し」とは、

「物事の程度を超えたゆきすぎは不足していることと同じようによくないことである」(大辞林より)という意味です。

 

『論語・先進』に書かれた孔子の言葉「過ぎたるは猶及ばざるが如し」が語源です

 

孔子は「宥坐之器」(ゆうざのき)という欹器(斜めに立つ器の意)を使って、「過ぎたるは及ばざるが如し」や「中庸」をわかりやすく説明しています。

2024年5月2日 inner-wish


宥坐之器(ゆうざのき)・欹器図(ききず)

孔子が宥坐之器(ゆうざのき)の説明をしながら中庸の大切さを説いた様子が欹器図(ききず)に描かれています。

 

宥坐之器(ゆうざのき)撮影inner-wish@足利学校
宥坐之器(ゆうざのき)撮影inner-wish@足利学校
欹器図(ききず)撮影inner-wish@足利学校
欹器図(ききず)撮影inner-wish@足利学校

 

『孔子が盧の国の桓公廟に行くと、金属の器である欹器(斜めに立つ器の意)があった。役人に問うと「座右の戒めをなす器である。」という。孔子は「宥坐之器(ゆうざのき)は、水が空のときは傾き、ちょうどよいときはまっすぐに立ち、水をいっぱいにいれたときはひっくり返ってしまうと聞いている。」と述べると、果たしてその通りだった。孔子は「いっぱいに満ちて、覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めた。』【引用】足利学校所蔵「欹器図(ききず)」説明文より

 

足利学校(栃木県足利市)には、欹器図(ききず)が所蔵されており、宥坐之器(ゆうざのき)が展示されています。また、屋外には宥座之器(ゆうざのき)を使って実際に水を汲み、中庸を体験できる展示もあります。

 

2024年5月2日 inner-wish


『中道』とは「両極端に偏らない悟り・涅槃へ至る道」

 

『中道』とは「両極端に偏らない悟り・涅槃へ至る道」を説明する言葉です。

 

『中道』は仏教の思想です。

「仏教の基本的教義の一。両極端に偏らないこと。対立する見解や態度を克服した立場。対立の内容については、快楽主義と苦行主義、自己を永遠とみる常見と死後はないとする断見、有と空、空と仮など、教派によって諸説がある。」(大辞林より)

 

中道の説明については、次の「琴の弦」と「流れる丸太」のたとえ話がとてもわかりやすいと思います。

 

2016年8月23日 inner-wish


琴の弦・流れる丸太

●琴の弦(Wikipediaより)

パーリ語経典の律蔵・犍度・大品(マハーヴァッガ)においては、釈迦が、どんなに精進しても悟りに近づけず焦燥感・絶望感を募らせていたソーナという比丘に対して、琴の弦を例えに出して、中道を説いている。弦は、締め過ぎても、緩め過ぎても、いい音は出ない、程よく締められてこそいい音が出る、比丘の精進もそうあるべきだと釈迦に諭され、ソーナはその通りに精進し、後に悟りに至った。

 

●流れる丸太 (Wikipediaより)

パーリ語経典相応部のある経典では、釈迦が中道をガンガー河に流れる丸太に例えて説いている。

そこでは、釈迦が丸太を比丘(出家修行者)に例え、その流れる丸太が

こちらの岸に流れつかず (六根(六内処)に囚われることなく)

向こう岸に流れつかず (六境(六外処)に囚われることなく)

中流で沈みもせず (悦楽・欲望に囚われることなく)

中州に打ち上げられもせず (自我の妄執に囚われることなく)

人によって持ち去られもせず (社会性・人間関係(付き合い・同情)に囚われることなく)

人でないもの(鬼神)によって持ち去られもせず (神秘主義に囚われることなく)

渦に巻かれることもなく (五感による欲望にまきこまれることなく)

内部から腐敗していくこともない (偽り・欺瞞を隠して生きることがない)

ならば、海(悟り、涅槃)へと到達するであろうと説かれる。

 


思い出してバランスを保つ

 

中庸・中道とは、極端な全てを拒否する姿勢ではなく、極端になり得る要素を持っていると理解し、受け止めた上で、あえて中庸・中道のバランスを保つよう心がけるのです。極端さを他者に投影し続けるのでは意味がありません。私たちは流れる丸太のように色々な状況の中で生きていて、苦しい中でバランスを崩しがちではあるが、そんな時も思い出してバランスを保つよう心がけるのが大切です。

2020年4月20日 inner-wish

 


調和のとれた「程よい」状態でバランスをとる

 

「程よい」状態でバランスをとることは、なぜ役に立つのでしょうか?

 

たとえば、もし、創造の波の軌跡に、自分自身が乗っている状態だとすれば、波の上下に合わせて、上がったり下がったりを繰り返し、全く安定感を欠くことになります。

 

しかし、「程よい」安定した視点・立ち位置から創造の波を眺める場合は、波の上下に合わせて、自分が上下することはなく、変らず安定した視点で眺めることが可能です。

 

上がり過ぎず、下がり過ぎない、行き過ぎず、戻り過ぎない、気を張り過ぎず、気を抜き過ぎない、など「程よい」ニュートラルな視点・立ち位置でバランスをとることにより、安定した穏やかな状態を保つことができます。

 

そのような「程よい」状態は動きが無い状態ではありません。調和のとれた「程よい」視点・立ち位置でバランスをとりながら、成長を続けていくという意味です。

 

「程よい」状態を静止状態とイメージすると、呼吸の流れも止まり、生命の自然な流れと切り離されてしまいます。調和のとれた「程よい」状態でバランスをとりながら、生命の流れに乗って、成長を続けることが大切なのです。

 

自分が創った両極端なドラマに取り込まれてしまうことなく、根源の心の安定を感じながら、調和した「程よい」状態をキープしましょう。

 

そうすることで、安定した視点から、様々な立場が観えるようになり、感じられるようになるため、自然にバランスのとれた「程よい」状態を保つことができます。

 

真の穏やかさや、優しさは調和のとれた「程よい」状態でバランスをとることの中にあります。

 

 2016年8月23日 inner-wish


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